言問通りの地元愛と理想の将来像などをジモティーさんにインタビュー。
「言問人」募集中!
言問通り・鶯谷駅周辺に関するお話をご提供いただける方を募集しています。昔の思い出や、現在の街について思う事など、どんな事でもかまいません。
あなたの言問への想いをぜひお聞かせください。
壬生 真康さん
浅草寺寿命院住職
東京大学文学部西洋史学科を卒業され、東京大学経済学部大学院経済学博士過程に進まれた異色の経歴を持つ壬生真康師。
御佛行の傍ら、毎月「浅草寺佛教文化講座」の開講、浅草寺教化部発行「浅草寺」の編集をなさっている浅草寺教化部長 壬生先生にお話を伺いました。
ご存知の通り浅草寺縁起には、檜前兄弟が推古天皇36(西暦628)年、当時海岸だった江戸浦で観音像を感得したとあり、関東切っての古い歴史を持つことで知られていますが、これまでの数々の災害の中、お寺の立場から出来る事を率先して数々の役割を担ってきた証しが、今日も現存されていることを知りました。
明治維新で近代国家になったものの家族や社会構成が変わり様々生じてくるギャップ。これを埋めるため社会福祉会館を創設、その後も女性のための安全や地位向上のために婦人会館が作られ、福祉会館として現存し、今も週一回の無料法律相談が行われています。
また明治43年の水害の際、多数の被災者のための救護所として活躍したのが 現在の社会福祉法人浅草寺病院の発端です。古い歴史を持つ浅草寺の担う役割というものを充分に果たしている事を知るとともに、これらは”言問通り”沿いに位置するというご縁を感じました。
著書のご紹介
※仏教を日々の生活の中で感じて貰う為に執筆した全24編のエッセイ集 [浅草寺dairy]
壬生先生ならではの知的なエッセンスが散りばめられた興味深い一冊です。
長沼 孝 一 郎さん
上野桜木在住
先日、家の近くを散策していたら、坂本小学校跡地の再開発と近隣地域活性化のポスターが目に留まりました。言問通りはいまだ江戸情緒を残す浅草そして文化・芸術 の色濃い上野公園付近を通り、都内でも有数の人気スポット谷根千に向かいます。
この言問通りに向かい合い、浅草と谷根千の中間に位置する学校跡地は夢街道、言問通りのハブです。
このような重要な場所が活性化され、日本の人たちから だけでなく、外国人観光客からも注目を浴びることはこの地域の住民にとっては大変な喜びであり誇りでもあります。
是非この事業が成就し、地元の活性化だけでなく言問通り一帯に幅広く波及効果を生むことを期待しています。
長沼 雄三さん
ひだまりの泉萩の湯 幸和興業代表取締役
萩の湯は大正時代から続<銭湯です。私の祖父が昭和23年戦争で焼けた銭湯跡地を購入。昭和24年に2代目萩の湯が誕生しました。その後2度の改築の後、平成29年5月に「ひだまりの泉萩の湯」が都内最大級銭湯としてオープンしました。
私自身は学生時代まで墨田区の向島の銭湯「薬師湯」で育ち、その頃から将来の銭湯の思いを描いていました。学生時代自転車で日本各地を周り様々な温浴施設を体験、上野稲荷町の「寿湯」を経営しながら、現在の萩の湯の構想に至りました。いつ来ても広い湯船でゆっくり寛げる、それが本当の銭湯だと思います。現在の萩の湯は地域の皆様の憩いの場であり、健康増進の場でもあります。今後も地域の皆様が元気で暮らせるよう萩の湯はお手伝いしていきたいと考えております。
河野 正枝さん
三島神社 宮司
三島神社には「雷(かみなり)井戸伝説」という言い伝えがございます。ある日、神社上空に黒雲が広がり、大嵐がやってきて上野の森の雷たちが大暴れをしました。怒った神主は長い竹竿を持ち出し、雲をつつき、雷の子供を落としました。雷の子はそのまま境内の井戸底深く落ちたので、神主はそのまま井戸にふたをしました。外に出たい雷の子はふたをめがけ、体当たりするものの神主も負けてたまるかとばかりに押さえこみ ます。10日も過ぎた夜のこと、観念した雷の子は「もう暴れないからここから出してくれよう」と懇願し二度とこの地に落ちないことを約束してふたを取りました。すると、割れんばかりの音を立て、弾丸になって空に飛んでいきました。それ以来、この地には雷が落ちなくなり、この井戸を「雷(かみなり)井戸」と呼ぶようになったというお話です。
東京大空襲の際にも被弾しなかったことから、「落ちない」というご利益を求めて「運気が落ちない」「業績が落ちない」「試験に落ちない」「人気が落ちない」などのご祈祷や「不落守(落ちないお守り)」や防災の「雷(かみなり)絵馬」などを受けられる方も増えてまいりました。
三島神社は代々河野家子孫が宮司を勤め、地域の方々と共にお守りしてきたお社ですが、地域の方はもとより、全国からもたくさんの方にお参りにきていただけるようにしたいと思っております。
佐川 勉さん
サガワ運動具製作所 代表取締役
この下谷に生まれ育って70年近く、時代はゆっくりと過ぎ、 この町は私を育んでくれました。 近くには小さな商店がいくつもあり、路地の隅々には子供たちの遊ぶ声が響き、おばさんたちは道端でおしゃべりをする、そんな町で した。しかしここ数年、 この町の進展は目を見張るものがあります 。
昔ここに何屋さんがあったっけ?と思い出せないほどです 。それは少し寂しくもありますが、この町に居を移してくれる人が増え ることはうれしいことでもあります。
江戸時代から連綿と続く町の伝統は守りつつ、新しくこの町の住人になってくれた人たちにこの町の歴史と文化を知り、興味を持っていただくことからこの町の未来が開ける、そんな気がします。
渡邊 誠さん
有限会社城北商事不動産部 代表取締役
1940年創業で長年ずっと鶯谷・入谷に地域密着で営業をさせ て頂いております。この辺りはどこへ行くにもアクセスが良く便利な場所でありながら、下町の雰囲気 が残っているため、非常に過ごしやすく、私の大好きな街です。
これからも住まいや地域の情報提供などを通して、地元の皆様に愛される会社になっていきたいと思います。そしてこの街がこれからも古き良き姿は残しつつ、変わる所はしっかり変わりながら、これからも良い街であり続けて欲しいと思います。
佐藤 勝子 さん
手児奈せんべい 店主
根岸の地に店を開いたのは昭和27年頃で、私はまだ小 さな子どもでした。前の道路にはまだ馬車が走っていて、車通りが少ないので道路で缶蹴りをして遊んだ記憶があります。当時からうちの煎餅を近所の人達にごひいきにして頂いていて、いまだに遠方に引っ越されてもわざわざ足を運び買いに来てくださる方も多くいます。
本当に有難いことで、時代の流れとともに、街並みや住む人達が変わっても、この根岸の風情とともに変わらない味を3代目の息子とともに守っていきたいと思っています。
小幡 昌広さん
有限会社花ふじ生花店 代表取締役
今から遡ること約80年前、寛永寺陸橋も無く店の前に緩やかな坂道があった頃、当店はこの地で花屋を開業しました。そして今も変わらず、花々を通してこの地を愛するお客様に四季の移り変わりを楽しんで頂くことを大切に考えています。
また7月の朝顔市の頃には貴重な品種である「子規の朝顔」という清楚な「変化朝顔」が店頭に並びます。昔から 「朝顔市にて、朝顔を買って、笹乃雪で豆腐を食す」、これが下町根岸の小粋なたしなみと言われています。今年はぜひ大人の風流をお楽しみください。