
「恐れ入谷の鬼子母神」で知られる真源寺の秘密

「恐れ入谷の鬼子母神」で知られる真源寺。 正門の向きにまつわる面白い歴史や、祀られている鬼子母神のヒミツなど、地元の人でも意外と知らない豆知識をご紹介します。
真源治の歴史
「恐れ入谷の鬼子母神」として知られる真源寺は、今から350年前ほど前の万治2年(1659年)に、沼津にある光長寺第20世住職 日融聖人が今の場所に開山されました。仏像彫刻でも有名だった日融聖人の手彫りによる鬼子母神をご本尊と共に祀られています。
真源寺の正門は現在、言問通りに面した北側にありますが、多くの神社仏閣では、正門が南向きであることが一般的です。かつては現在の裏手にある南側が参道の正面で、そちらに正門が設けられていました。しかし、後の区画整理により言問通りがメイン通りとなり、それに合わせて正門が北側へ移されました。
仏教の女神 鬼子母神
鬼子母神は仏教の女神で、特に日蓮宗においては、子育てや安産の守護神として信仰されています。しかしその起源には、やや恐ろしい逸話が残されています。かつて鬼子母神は凶暴な性格で、他人の子どもを奪い取っては食べていたと伝えられています。それを知ったお釈迦様は、懲らしめるために鬼子母神の末子を隠し、子どもを失う悲しみを実感させました。彼女は自分の非行を悔い改め、それ以降は子どもを食べる代わりに、人間の味がするとされるザクロを食べることを誓い、仏教に帰依したといいます。その後は子育てや安産の守護神として信仰されるようになりました。
鬼子母神について調べていると、「恐れ入谷の鬼子母神」という言葉をよく見かけます。この表現は、江戸時代の狂歌師 大田南畝(おおた なんぽ)の作品「恐れ入谷の鬼子母神、どうで有馬の水天宮、志やれの内のお祖師様」に由来すると言われています。「恐れ入りました」という言葉を「入谷」にかけ、同地にある鬼子母神を続けた洒落で、現在は「恐れ入りました」をしゃれて言う言い回しとして知られています。
トリビア
鬼子母神像は子どもを抱き、ザクロも手に持っています。鬼子母神は「金光明最勝王経」や「孔雀経」において法華経を護持する神として説かれており、日蓮宗の寺院に祀られている理由はここにあります。真源寺に鬼子母神が祀られているのも、そのためです。また真源寺の瓦には、「鶴紋」と「ザクロ紋」が確認できます。「鶴紋」は宗派の紋章で、「ザクロ紋」は鬼子母神に由来するものと思われます。なお鬼子母神はよく「きしぼじん」と呼ばれますが、正式な読みは「きしもじん」で、鬼子母神の「鬼」の字には、ツノはありません。


真源治と入谷朝顔まつり
入谷朝顔まつりは、毎年7月6日・7日・8日に真源寺と、その前を通る言問通りで開催されます。入谷朝顔まつりの起源は、江戸後期にこの地で盛んだった朝顔栽培のお披露目に始まるとされています。下谷坂本村字入谷(したやさかもとあざいりや)には朝顔を売る植木屋が軒を連ね、さまざまな朝顔を陳列していました。これが評判を呼び、都の年中行事に数えられるまでに成長しました。しかし大正時代に入ると、入谷の地価が高騰し、安価な商品を取り扱っていた朝顔商は廃業に追い込まれました。そのため、入谷朝顔まつりも一時は廃れてしまいました。しかし昭和23年には地元の有志により、入谷朝顔まつりが復活し、毎年約120軒以上の露店が並ぶまでになりました。





入谷朝顔まつり
開催場所 真源寺周辺
開催時間 午前5時~深夜
歩行者天国
6日(土) 12:00~21:00
7日(月) 17:00~21:00
8日(火) 17:00~21:00
※21:00から21:30までは、清掃車が入ります。
入谷朝顔まつり公式サイト
入谷朝顔まつり公式オンラインショップ
入谷朝顔まつり公式X
入谷朝顔まつり公式Instagram
入谷朝顔まつり公式FaceBook